マドリードから来た貧しい白人──植民地の隙間で生きる二人#

そのスペイン人の名はディエゴといった。出会う中国人みんなに「アミーゴ」と呼びかけた——スペイン語で「友達」という意味で、彼がこれまでに覚えたアジアの言葉はそれだけだった。三十一歳、黒髪、港湾労働者のようなガタイで、イギリス人以外のヨーロッパ人が香港にたどり着くときの典型的なパターンでやって来た——一つ一つは筋が通っている決断を重ねた結果、まとめると大惨事になるというやつだ。

ペニンシュラホテルで厨房の荷運び係として働いていた。コックではない——荷運び係だ。野菜の箱を荷受け場から厨房に運び、米袋を狭すぎる階段で引きずり上げ、シンクに収まらない鍋を洗った。苦力の仕事を白人の給料でやっていた。ホテルは中国人の荷運びの三倍の賃金を彼に払った。ヨーロッパ人だからだ。ヨーロッパ人の肌には割増料金がついてくる——たとえその肌の持ち主が字を読めなくても。

ナムチョイがディエゴに出会ったのは、ペニンシュラの裏路地だった。厨房の残飯が戦争犯罪のような臭いのするゴミ箱に捨てられる場所だ。一九四一年九月のことで、ナムチョイがそこにいたのは、アー・フックのネットワークがホテルの厨房から廃食用油を回収し、深水埗の石鹸業者に転売するという副業を持っていたからだ。利幅は紙のように薄く、仕事は不潔だったが、利幅は利幅だ。アー・フックの組織は利幅で回っていた。大英帝国が紅茶で回っていたように。

ディエゴはひっくり返した木箱に腰かけ、煙草を吸いながら、スペイン語で独り言を言っていた。後でわかったことだが、これは彼の癖だった——身振り手振りを交え、声のトーンを変えながら、一人で完全な会話を繰り広げる。まるで一つの体に二人の人間が押し込まれていて、どちらにも言い分があるかのように。

ナムチョイは手押し車に油缶を積んでいた。ディエゴは数分間それを眺めてから、ナムチョイよりさらにひどい英語で言った。「おまえ。中国人。小さいのに力あるな」

ナムチョイは彼を見た。ディエゴはニカッと笑った——大きくて屈託のない笑み。ナムチョイはこの手の笑顔を信用しないことにしていた。たいてい何かを頼まれる前触れだからだ。

「俺はディエゴだ」とディエゴは言った。「マドリードから来た。マドリード、知ってるか?」

「知らない」とナムチョイは言った。

「きれいな街だぜ」とディエゴは言った。「このクソみたいな場所よりずっといい」。路地、ゴミ箱、他人の富の記念碑のようにそびえるペニンシュラホテルを手で示した。「ずっとな」

「じゃあなんでここにいるんだ?」とナムチョイは言った。

ディエゴの笑みは崩れなかった。だがその奥で何かが揺らいだ——マッチが擦れるように一瞬光って、消えた。「マドリードもクソだからさ」と彼は言った。「違うクソ。スペイン式のクソ。ここはイギリス式のクソ。同じクソ、違う穴」

自分のジョークに笑った。ナムチョイは笑わなかった。だが立ち去りもしなかった。彼の対人関係の語彙では、それはほとんど抱擁に等しかった。

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その後数週間で、ディエゴの身の上話が少しずつ出てきた。まだ完全には信頼し合っていない男同士の間で話が出てくるときの、あのやり方で——断片的に差し出され、引っ込められ、相手の反応を窺ってから次が明かされる。

スペイン内戦で兵士だった。共和派側。結果的に間違った側——つまり負けた側だ。一九三九年にフランコが勝つと、ディエゴは五十万人の難民とともにフランスに渡り、ペルピニャン近くの海岸の収容所に入れられた。フランス政府はスペイン共和派を、政府がいつも他人のために戦争に負けた人々を扱うやり方で扱った——官僚的な軽蔑と、足りない食糧で。

収容所を脱走した。フランスを横断し、地中海を経てイギリス支配下の港へ、手に入る船の仕事は何でもやりながら。香港にたどり着いたのは、貨物船が甲板員を必要としていて、その船の行き先が香港だったからだ。一週間だけいるつもりだった。それが二年前の話だ。

「計画ってのはな」とディエゴは言った。「神様がおまえを笑いたくなったときに立てさせるものだ」

ナムチョイは神を信じていなかった。だが言わんとすることはわかった。計画には自分でコントロールできる未来が必要で、コントロールというのは他人の身に起こるものだった。

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ディエゴの特別なところは、ナムチョイが生まれて初めて出会った本当に貧しい白人だったということだ。貧しいふりではなく、一時的な貧しさでもなく、宣教師や冒険家のような自発的な貧しさでもない。正真正銘の貧しさだ。ディエゴの靴には穴が空いていた。シャツは色の合わない糸で繕ってあった。ヨーロッパ人従業員に支給される賄い食ではなく、中国人荷運びが食べる厨房の残り物を食べていた——ワインセラーから酒を盗んだのがバレて、賄い食の権利を剥奪されたからだ。

彼は貧しく、白人だった。この二つの事実が同時に存在するありようは、香港の植民地的ヒエラルキーが想定していないものだった。イギリス人は彼に対して特別な種類の軽蔑を示した——中国人に対するそれよりひどい軽蔑だった。なぜなら中国人が貧しいのは当然のことで、ディエゴが貧しいのはそうではなかったから。貧しい白人は落伍者だ。貧しい中国人は統計だ。その違いはイギリス人にとって、言葉にするのは難しいが見逃すことは不可能な形で重要だった。

ペニンシュラの中国人荷運びたちも、彼をどう扱っていいかわからなかった。ヨーロッパ人だから自分たちより上のはずだ。だが貧しいから自分たちと同じ場所にいる。そしてスペイン人だから、イギリス人でもなければ、他のどのカテゴリーにも当てはまらない。彼は隙間に存在していた——人種の間、階級の間、植民地体制の上と下の間に。そして隙間は、植民地香港では居心地の悪い場所だった。

ナムチョイは隙間がわかった。一生そこで暮らしてきたからだ。

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侮辱は港に泥が堆積するように溜まっていった——ゆっくり、目に見えず、ある日突然船が接岸できなくなる。

ディエゴを「ダゴ」と呼び、ディエゴがその言葉の意味がわからないと笑うイギリス人の副料理長がいた。休みの日でも従業員用入口から入れと命じるホテル支配人がいた。ディエゴのような見た目のヨーロッパ人——浅黒い肌、みすぼらしい服、厨房の油の臭い——はロビーにふさわしくないからだ。一週間に二度、ネイザンロードでディエゴを呼び止めて身分証を確認する巡査がいた。日が暮れてから九龍を歩いている白人が、酔ってもおらず制服も着ていなければ、自動的に怪しいからだ。

小さなことだ。どれも飲み込めるほど小さい。どれも洗い落とせない膜を残す。

ナムチョイは博物学者が生息地の種を観察するような、距離を置いた目でこれを見ていた。彼はずっと——はっきり言葉にしたことはなかったが——白い肌は盾だと思い込んでいた。香港でヨーロッパ人であることは、建物が壁に守られるように、植民地権力という見えない鎧に守られることだと。ディエゴは、その鎧には条件があることを教えてくれた。正しい種類のヨーロッパ人でなければならない。できればイギリス人。必ず裕福でなければならない。イギリス人が定義する「白さ」でなければならない——それは肌の色だけでなく、アクセント、階級、国籍、そしてイギリス人だけが鋳造権を持つ通貨のような、定義しがたい「帰属」の資質のことだった。

ディエゴは白人だがイギリス人ではない。貧しいが中国人ではない。ヨーロッパ人だが植民者ではない。あらゆるカテゴリーから水が篩を抜けるようにすり抜け、カテゴリーを建物が壁を必要とするように必要とするこのシステムは、彼を罰した。

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事件は十月のある土曜の夕方に起きた。ナムチョイはその場にいなかった。事後に三人の異なる人物から聞いたので、三つの異なるバージョンがあり、真実はその隙間のどこかに隠れていた。

バージョン一、その場にいた中国人荷運びから:ディエゴはシフト後に厨房で残り物を食べていた。イギリス人コック——元海軍の大柄な男、パーキンスという名——が出て行けと言った。時間外の厨房はスタッフ専用だと。ディエゴは自分はスタッフだと言った。パーキンスは「おまえはスタッフじゃない、クソ難民だ」と言った。ディエゴがスペイン語で何か言った。パーキンスが殴った。ディエゴが殴り返した。他のイギリス人厨房スタッフ二人が引き離した。ディエゴは鼻を折られた。パーキンスは目の上を切った。

バージョン二、事後を見たシク教徒の警備員から:ディエゴが酔って先に手を出した。パーキンスは正当防衛だ。スペイン人は血の気が多い。誰でも知っている。

バージョン三、ディエゴ本人から。一週間後、路地の同じ木箱の上で、鼻に包帯を巻き、両目の下に紫色の痣をつけてアライグマのような顔でナムチョイに語った。「あいつは俺を難民と呼んだ。俺は難民じゃない。俺は兵士だ。負けた兵士だ。違いがある」

「何が違う?」とナムチョイは聞いた。

「難民は逃げる」とディエゴは言った。「兵士は歩いて去る。方向は同じだ。尊厳が違う」

彼はまったく真剣にそう言った。まるで逃げることと歩くことの違いが形而上学的な重大事であるかのように。ナムチョイは自分が軍を離れたときのことを考えた——夜明け前に逆方向へ歩き出し、銃を物々交換し、漁船に乗った。逃げたのか、歩いたのか。それは重要か。どちらにしても軍は後ろにあった。

「先に殴ったのか?」とナムチョイは聞いた。

ディエゴは折れた鼻にそっと触れた。かつて無傷だったものに触れるように。「いいや」と彼は言った。「だが先に殴ればよかったと思う。後から殴るのは防御だ。先に殴るのは選択だ。俺は選択するほうがいい」

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喧嘩の後、ディエゴはペニンシュラを解雇された。ホテルの計算は単純だった——パーキンスはイギリス人で不可欠、ディエゴはスペイン人で代替可能。植民地の算数だ。ディエゴは唯一の荷物——シャツ二枚、ズボン一本、西英辞典、そして決して話題にしない女の写真が入ったキャンバスのダッフルバッグ——をまとめ、ナムチョイの深水埗の部屋よりさらに狭い油麻地の部屋に引っ越した。

埠頭で仕事を見つけた。貨物船の積み下ろし。またも苦力仕事だが、今度はヨーロッパ人の割増なしだ。埠頭のボスは中国人労働者と同じ日当——六十セント——を払った。解雇されたヨーロッパ人は雇われているヨーロッパ人より価値が低く、面汚しのスペイン人の植民地香港での相場は、想像どおりの低さだった。

ナムチョイが埠頭の仕事を世話してやった。友情からではない——ナムチョイはその言葉を信じていなかったし、使おうとも思わなかった——実用性からだ。アー・フックのネットワークは埠頭で動いていた。恩を売ったヨーロッパ人がいれば便利だ。ディエゴは中国人が行けない場所に行ける。中国人が話せない相手と話せる。中国人が立ち入りを許されない部屋に立ち、中国人の耳には決して届かない会話を聞くことができる。

ディエゴはアー・フックの組織で、かつてのナムチョイと同じ役割を担った——耳だ。ただしヨーロッパ人の耳。植民地の壁の向こう側にアクセスできる耳。

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日本軍が香港に侵攻する前夜——一九四一年十二月七日、日曜日。この街が後にこの日を思い出す仕方は、体が交通事故を思い出す仕方に似ている。ガラスの破片と音の断片で——ナムチョイとディエゴは油麻地の長屋の屋上に座り、港を眺めていた。水面は黒かった。船の灯りが水面に揺れて、落ちた星のようだった。対岸の香港島側で、どこかのホテルのパーティーでバンドが演奏していた——その音がブリキのように薄く、遠く、まるで別の世紀の音楽のように漂ってきた。

ディエゴはラベルのない瓶に入った安い白酒を飲んでいた。ナムチョイに差し出した。ナムチョイは一口飲んで顔をしかめた。野心を持ったペンキ剥離剤の味がした。

「香港とマドリードの違い、知ってるか?」とディエゴが言った。

「何だ?」

「マドリードでは、誰かに侮辱されたら理由がわかる。貧乏だから、ブサイクだから、誰かの女房を寝取ったから。理由は個人的だ。ここでは——」彼は街に、港に、船に、天気のようにすべてにのしかかる植民地ヒエラルキーの見えない重みに向かって手を振った。「ここでは、侮辱されても、自分のせいなのか、自分の顔のせいなのかすらわからない。肌の色。言葉。目の形」

彼は飲んだ。ナムチョイも飲んだ。

「マドリードでは」とディエゴは言った。「俺はディエゴだった。ここでは『あのスペイン人』だ。名前すらない。国籍。カテゴリー」。間を置いた。「おまえにはわかるだろう」

ナムチョイにはわかった。わかりすぎるほどわかっていた。もはや知識ではなく重力のように感じられるほどに——あまりに恒常的で、誰かが名前をつけるまで存在を忘れてしまう力。

「ボーイ」とナムチョイは静かに言った。

「何だ?」

「連中が俺たちを呼ぶときの言い方だ。ボーイ。中国人の男はみんな『ボーイ』だ」

ディエゴが彼を見た。一瞬、何かが二人の間を通った——正確には理解ではない。二人の人生はあまりに違いすぎて、理解にはならない。もっと認識に近い何か。同じ建物の違う部屋に立つ二人の人間が、違う壁越しに同じ音を聞いている。

「クソくらえ」とディエゴが言った。

「クソくらえ」とナムチョイも言った。

英語でした会話の中で、もっとも誠実な会話だった。二語。文法は不要。

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翌朝、日本軍が啓徳空港を爆撃し、二人を侮辱してきた世界は、彼らが知っていた世界であることをやめた。だがそれは次の章の話だ。

屋上で、暗闇の中で、まずい白酒と遠くの音楽とともに、互いを完全には信頼していない二人の男が、同じ機械に削られた者だけが持つ特有の沈黙の中に座っていた。友情とは呼ばなかった。何とも呼ばなかった。ものに名前をつけると本物になる。本物は奪われうる。

港は黒かった。音楽は鳴り続けた。この街が今の街であり続けられるのは、あと十二時間だった。

二人ともそれを知らなかった。誰も知らなかった。未来を知ることは、誰も持っていないたった一つの秘密だった。